諸行無常への反動

わたしたち、人はどうしても変わらないものを求めてしまいます。それはこの世のすべてが変化する、ということが初めから分かっているからかもしれません。今は薔薇が咲く季節ですが、その花は2週間もすれば散る。儚い。それが自然なのですが、寂しく感じる。

組織も同じで、自分の属する組織は永遠に続くと思いたい。そうすれば自分もある程度安定した暮らしができるだろう、と感じる。希望が描ける、と思う。しかし周囲は変化し続けているため、組織も変化し、いつかは消えていく。そしてまた新しい組織が生まれる。それが自然。

生きとし生けるものは100%いつか死を迎えます。しかし自分自身の死はどうしても理解できない。肉体の死は想像できる。でも「ボク」(精神としての私)はどうなるのかわからない。そもそも自分の中にプログラムされていない。宗教に描かれた死後もあくまで想像のように思える。だからそれを考えるだけで不安になる。(開き直れる人もいますが)だから考えないようにする。そしていつか、何のために生きるのか、考えることを止め、ただ生き長らえることが目的になってしまう。

組織も同じかもしれません。あらかじめ死(消滅)を想定できない。ただ不安感や危機感が煽られる。そうすると、そもそもの使命や目的を忘れて、生き続けることが目的に変わってしまう。そして、そのためにさまざまな欲望に囚われ、不自然な行為を行ってしまう。それらが数々の組織不祥事などを起してしまう要因の一つのような気がします。倫理学者平尾昌宏氏も「(組織は自己保存本能を持っており)本来の目的を離れて組織自体が大事になってくる。」(「ふだんづかいの倫理学」(p.293)と述べています。

私たちを取り巻く環境は日々刻々と変化しています。諸行無常です。つまり一度使命や目的をもって生まれた組織や企業も、その使命や目的を守りつつ、この無常に従って変化せざるを得ない。さもなければ消えることが自然というものの本質だと思います。つまり組織の使命や目的と、組織の現状を定期的に内省し、適正な規模や存続の是非を自ら問わなければなりません。
しかし、多くの組織は、長く続けば続くほど、本来の目的を見失い、存続が自己目的化する危険性がある。これは私たち一人一人の人生においても同じことが言えると思います。もっと言えば、自己目的化へと促す要因の一つとも思われる”消えることへの恐怖感”が、”消えることへの達成感”に変えられないのでしょうか。

今一度、私たちは何のために在るのか、何のために生きるのか、組織も人もここを考え続けることが大切なのかもしれません。

でもそもそも生きるとは何か、生きるのに目的が必要なのだろうか。次はそれらについて考えてみます。