諸行無常への反動

わたしたち、人はどうしても変わらないものを求めてしまいます。それはこの世のすべてが変化する、ということが初めから分かっているからかもしれません。今は薔薇が咲く季節ですが、その花は2週間もすれば散る。儚い。それが自然なのですが、寂しく感じる。

組織も同じで、自分の属する組織は永遠に続くと思いたい。そうすれば自分もある程度安定した暮らしができるだろう、と感じる。希望が描ける、と思う。しかし周囲は変化し続けているため、組織も変化し、いつかは消えていく。そしてまた新しい組織が生まれる。それが自然。

生きとし生けるものは100%いつか死を迎えます。しかし自分自身の死はどうしても理解できない。肉体の死は想像できる。でも「ボク」(精神としての私)はどうなるのかわからない。そもそも自分の中にプログラムされていない。宗教に描かれた死後もあくまで想像のように思える。だからそれを考えるだけで不安になる。(開き直れる人もいますが)だから考えないようにする。そしていつか、何のために生きるのか、考えることを止め、ただ生き長らえることが目的になってしまう。

組織も同じかもしれません。あらかじめ死(消滅)を想定できない。ただ不安感や危機感が煽られる。そうすると、そもそもの使命を忘れて、生き続けることが目的に変わってしまう。そして、そのためにさまざまな欲望に囚われ、不自然な行為を行ってしまう。それらが数々の組織不祥事などを起してしまう要因の一つのような気がします。

何のために生きるのか、人も組織もここを考え続けることが大切なのかもしれません。

でもそもそも生きるとは何か、生きるのに目的が必要なのだろうか。次はそれらについて考えてみます。